館長便り

2022-12-16 13:51:00

其の七 冒険者たち~筏(いかだ)の話~

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昔、マーク・トゥエインの短編集を読みました。

 マーク・トゥエインといえば、アメリカを代表する作家で、「トム・ソーヤーの冒険」は知らない人はいないですよね。このお話は、マーク・トゥエインの少年時代がモデルになっており、自身あるいは友達との間に実際に起きたことがもとになっていて、世界中の子どもたち、また昔の子どもだった人たちに愛読されました。アメリカ南北戦争の少し後に出版され、アメリカという新しい国が、もっともアメリカらしかった時代を背景としていました。ミズーリ州を流れるミシシッピ川沿いの町を舞台として、子どもたちの冒険話は、今でも楽しめる名作です。

 私はちょっとへそ曲がりなので、マーク・トゥエインという作家にまず興味を持ち、「トム・ソーヤーの冒険」よりも短編集の方から読み始めたのでした。当時のアメリカ人のちょっと個性的で粋なお話がとても面白かったです。最近思い出してまた読んでみました。昔の文庫本は字が小さくて疲れましたが、やっぱり面白かったですね。

 さて、マーク・トゥエインの事を書こうとしている訳ではありません。

 「冒険」という言葉、行為が今はどうなっているのだろうか?ということです。おそらくゲームの中でたくさんの疑似体験はできているのでしょうが、実際の草むら、岩場、泥水、土砂降りの雨など、直接体感できる「冒険」は難しい時代になったのかも知れませんね。いつも「何かあったらどうする」「誰が責任を取るんだ」のおきまりの言葉で、大人の目の中だけの体験活動になってしまっています。特に学校などはやりにくくて当然の社会になっていますね。大人の目の届かない世界に子どもたちの本当の冒険があるのですから。

 私が子どもの頃の記憶にこんなものがあります。家の近くに今出川という小さな川が流れています。そこに借宿橋という橋があり、その下は子どもたちの遊び場でした。当時の川は、今と違って河川工事や水量調節などありませんでしたので、深い場所がたくさんありました。確か私が5,6歳の頃だったと思いますが、私は悪ガキ達の中で1番年下でしたので、いつも何かの実験台にされていました。ある日「畳が人を乗せて浮くか」という訳のわからない実験をすることになりました。よくそんなバカなことを考えつくものだと思いますが、その畳に乗るのは私ということになりました。どこからか古い畳が運ばれてきました。私がその上に乗せられ、何人もの手で川まで運ばれ、「せーの」とかけ声と共に川に放りこまれました。

 

  浮かぶはずがありません。

 

 ズブズブと沈んでいく畳の真ん中に素直に乗っている私は、こちらを指さしながらワイワイ騒いでいる年上の子どもたちを見ながら、川の中に沈んでいったのです。

 どうやって助かったかは記憶にないのですが、あの沈む感覚だけはよく覚えています。その時のガキ大将がやがて中学校の校長になり、私が教頭で仕えたというおまけの話を加えておきます。

 

 私の育った町は、マーク・トゥエインのミシシッピ川ほどではありませんが、阿武隈川の支流が町の中を流れており、子どもたちはよく川で遊んでいました。私が小学校6年の時に上流にダムができたために、川底が整備され、深みのない人工的な川に変わってしまいました。私は、そうなる前に何かやってやろうと思いました。どこで思いついたかはわかりませんが、「筏で川下りをやってみよう」という発案をしたのです。この頃の子どもたちは、こういう話にはすぐに乗ってきます。「やろう」「やろう」とすぐ行動に移るのがいいですね。なぜそんなすぐに行動に移せるのか。それは「先のことを考えない」からなのです。「まずはやってしまおう」という共通理解で筏づくりが始まりました。暑い夏休みだったなあ。朝早くから、何人もの悪ガキ達が木材や太い竹、荒縄、ロープなどそれぞれが出発点の河原に持ってきます。「ああでもない」「こうでもない」と組み立てますが、なかなか上手くいかない。何とか形になったが今度は浮かばない。人が乗ったら沈んで進まない。お昼ご飯も忘れて昼過ぎまで筏づくりをしていました。とにかく暑かったなあ。

 

ようやく一人だけ乗せて浮かぶ筏ができた。

 

もうそれでいい。はやくしないと日が暮れるという状況になってきました。とにかく出発です。

思ったより、筏はすいすいと流されていきました。子どもたちは交代で筏に乗り、後は川沿いの土手や道路を走って追いかけました。あちこちで人が立ち止まって私たちを見ていました。私たちは、妙に誇らしく、嬉しさがこみ上げてきました。当時の大人は「危ないだろう」なんて誰も言ってきませんでしたね。

 今になって私たちの筏の移動距離を調べたところ2キロくらいでしょうか。自動車で行けばあっという間でしょうか。子ども達にとっては大冒険でしたね。

 川がだんだん深くなり、仲間が川を併走することも難しくなったので、子どもなりに限界を判断し、「ここまで」と川下りをやめました。川岸に筏を寄せて、初めて気づいたのですが、「この筏どうする?」ということになりました。子どもの浅知恵ですね。その後を考えていなかったのです。陸に揚げて持って帰るわけにも行かず、そのまま流して知らんぷりをするわけにもいかず、結局は川岸に接岸して、とりあえず今日のところは帰ることにしました。次のことはあとで考えようということになったのですが、先のことは考えない当時の悪ガキ達は、すっかり忘れて、次の日からまた新しい冒険を探しに行ってしまったのでした。

 その後、あの筏はどうなったのでしょうか。

 私の小学生の頃の冒険話でした。

 

 

やったことは、例え失敗しても、20年後には、笑い話にできる。
しかし、やらなかったことは、20年後には、後悔するだけだ。

- マーク・トウェイン -