館長便り
其の四 ガラスが割れた
クレーム社会になりました。何にでもケチをつける。文句は言ったもん勝ち。役所でも、学校でも、企業でも、どこでもその対応に追われています。それで心が病んでしまう人も多いと思います。
学校でもモンスターペアレンツといわれる理不尽な保護者が増加しています。
困ったものだなあ。
私も長いこと学校の仕事や空手の指導者をやってきていますので、少なからず「クレーム」といわれるものは経験しています。個人レベルでの対応もありましたが、組織の長となってからの対応についてはいろいろと気付かされたことがありました。たまたま運がよかっただけかもしれませんが、揉めた相手ほどかえって仲良くなったような気がします。
支部長に配付した資料に次のようなできごとを紹介しました。
私が、内弟子を終了して、新任教員として赴任した学校は、いわゆる「荒れた学校」と呼ばれた学校で、教師と生徒、保護者との関係もよくない状況がありました。
私が赴任して間もない頃、こんなできごとがありました。
ある日、廊下の大きな窓ガラスが割れたのです。廊下には破片が飛び散り、大変な状況となっていました。たまたま私がその場所に1番手に駆けつけたのですが、そこで最初に言った言葉が
「怪我をした生徒はいなかったか?」
でした。
あたりまえのようですが、このことが、意外な反響を呼んだのです。
「今度来た若い先生は違う」「犯人捜しより生徒の安全を第一に考えてくれる」「この先生なら信頼できる」などと思わぬ信頼を得ることになったのでした。おそらく、これまでは「誰がやったんだ」から始まっていたのでしょう。荒れた学校でいつものように何かが壊されていれば当然の台詞かもしれません。私の場合も、結果的に何故ガラスが割れたのかという点については追求しましたので、最終的にはガラスを割った生徒を指導しています。
言葉の順序が違うだけで、こんなに受け取りが違ってくる一例です。
ちょっとしたボタンの掛け違いからクレームは発生します。たいていの場合、キチンと説明すれば「なんだそうだったか」になるのですが、感情が先走り、引っ込みがつかなくなってしまうともうどうしようもありません。また、子どもは自分に不都合なことは親に言わなかったりしますので、「うちの子に限って」「他にもいるでしょう」などと収拾がつかなくなってしまいます。
こんな話がありました。
ある学校でお金がなくなることが続きました。ある生徒が怪しいということになり、生徒指導の先生が、何人かの生徒に事情を聞くということで、本丸の生徒にも一応聞く形を取りました。その生徒は「何も知らない」で通したので、特に疑いや追求もせず「何かわかったら教えてね」という程度で帰しました。
その夜です。その生徒の父親がえらい剣幕で学校に電話をかけてきました。「俺の子どもを疑いやがったな。話を聞いた先生を出せ!」ということで、対応した先生は、事の経緯を丁寧に説明しましたが、「出るところへ出てやる」「どうなるかわかっているのか」という脅し文句の連発でした。「不愉快な思いをさせてすみませんでした。」とその先生は丁寧に謝罪して何とか電話を切ることができました。
結局その生徒が犯人でした。
その先生は、父親の電話からおそらくそうだろう読んでいました。その生徒から父親にどう伝わるかがねらいでしたので、その通りになったのです。その後、父親は学校に謝罪するわけではなく、電話にも出ません。バツが悪かったのでしょうね。学校は警察ではありませんので、ちゃんと謝って反省してくれればよいのです。大人はそれを教えてあげればよいだけなので、なにもけんか腰に電話をかけなくてよいのです。
このような話は山のようにあります。
言葉かけ1つで信頼を得る場合もあるし、失う場合もある。
落ち着いて話を聞けば、納得してよい関係を作ることもできる。
結局のところ、人と人は仲良くできればそれが1番よいのですから。